2014年01月

2014年01月31日

神社と歴史(一)近代(5)神佛判然令と神道国教化

神佛習合(しんぶつしゅうごう)
日本に根付く固有の神の信仰(=神祇信仰)に、新たに外来した佛教信仰が、日本の地で受け入られ信者を増やすために、神道の神格と佛教の尊格習合(=異なる教義などを折衷)することで融合と調和を図った宗教現象で、奈良時代、神社に付属して神宮寺が建てられ、平安時代以降、本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)や、それに反する神本佛迹説(しんぽんぶっしゃくせつ)などが起こり、明治政府の神佛分離政策まで人々の間に広く浸透しました。神仏混淆(しんぶつこんこう)とも云います。
宇佐八幡宮




神佛判然令と神道国教化 
1868年(慶応4年)、明治新政府は王政復古祭政一致の理想実現のため、神道国教化の方針を採用し、それまでの神佛習合を禁止するため、神佛判然令(しんぶつはんぜんれい)神佛分離令を発令し、太政官布告神祇官事務局達太政官達など一連の通達に基づき公的に全国的規模で行い、神社寺院を分離し、それぞれ独立させ、神社に奉仕していた僧侶には還俗(げんぞく)を命じたほか、神道の神に佛具を供えることや、御神体佛像とすることも禁じました。



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2014年01月30日

神社と歴史(一)近代(4)宮中三殿と皇室祭祀

宮中三殿と皇室祭祀
1871年(明治4年)、宮中で行う祭典を定めた四時祭典定則(しじさいてんていそく)規則化され、天皇親祭(=天皇自ら神を祀ること)の国家の大祭として、神嘗祭 神宮遥拝(かんなめさい じんぐうようはい)新嘗祭(にいなめさい)元始祭神武天皇祭先帝祭が斎行されることになりました。
宮中三殿
 1872年(明治5年)、八神殿の八神天神地祇と合祀され、天神地祇として宮中の神殿に遷座し祀られることになり、現在の宮中三殿(賢所皇霊殿神殿の姿が成立しました。

1873年(明治6年)、祝日は当初、節句や盆などであったものが、太政官布告 年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム によって、それまでの祝日はすべて廃止され祝祭日制度の制定により、元始祭(一月三日)、新年宴会(一月五日)、孝明天皇例祭先帝祭(一月三十日)、神武天皇即位の紀元節(二月十一日)、神武天皇祭(四月三日)、神嘗祭(十月十七日)、天皇誕生日の天長節(十一月三日)、新嘗祭(十一月二十三日)が、国民の祝祭日として、皇室の恒例祭祀は社会にも浸透していきました。

1878年(明治11年)、春季皇霊祭(春分の日)秋季皇霊祭(秋分の日)が祝祭日に加えられ、四方拝紀元節天長節三大節とし、全国の学校や各種団体などで式典などが行われました。

1889年(明治22年)、宮中三殿明治宮殿とともに創建され、新嘗祭が行われる神嘉殿(しんかでん)も建てられました。
皇霊殿は、歴代天皇の御霊を併せ祀る皇室の御霊舎として創建され、孝明天皇の歴代の山稜補修と祭祀復興のご意志を受け継ぐものでもありました。
同年、皇室祭祀令を含む皇室典範が大日本帝国憲法と同時に発布され、1908年(明治41年)に公布された皇室祭祀令で、宮中三殿と神嘉殿で行われる恒例の皇室祭祀法制化されることになりました。



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2014年01月29日

神社と歴史(一)近代(3)太政官布告と近代社格制度

太政官布告と近代社格制度
明治政府は、全国の神社の調査をし、神社の神社明細帳登録による全国的掌握を進め、1871年(明治四年)、近代社格制度の基礎となる太政官布告(=最高官庁である太政官によって公布された法令)官社以下定額、神官職制等規則の公布により、各神社の社格が制定されました。
官幣大社 廣田神社


 社格(=神社の格)を、官社諸社(=民社)に大きく分け、伊勢の神宮は、凡ての神社の上にあり、社格のない特別な存在とされました。

延喜式の社格を倣って、官社には、官幣大中小社、国幣大中小社、官幣社は神祇官が、国幣社は 地方官が祀るものし、神祇官の所管とされました。

諸社には、府社藩社県社郷社が置かれましたが、藩社は廃藩置県によって藩がなり、 実際に列格された神社はありませんでした。

この後、官幣、国幣の大中小社にも分類できない、別格官幣社(=国家皇室に功績を挙げた忠臣を祭神として祀る神社)の制度が導入され、 郷社定則(=一村一社により郷社の附属として、郷社の下に村社が設けられました。
 
また、神社明細帳に登録された公認の神社の中で、村社の社格に至らない神社を無格社としました。


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2014年01月28日

神社と歴史(一)近代(2)東京奠都と明治神祇官神殿

東京奠都と明治神祇官神殿
明治政府の組織整備も進められ、祭政一致天皇親政の方針から、古代に制定された大宝律令に倣って、神祇官太政官が置かれ、太政官の下には政務を分担する各省を配置する組織となりました。
神祇官神殿


 併せて、宮中祭祀についても整備され、神祇官神殿(=国家祭祀の中枢として神祇官が祭祀を司る神殿)が皇居前に明治神祇官神殿として復興され、八神天神地祇、歴代の皇霊(=天皇の御霊)が祀られました。八神は神祇官代や白川伯王家(しらかわはくおうけ)で祀られてきたもので、歴代天皇の御霊(みたま)は中世中期より、京都御所では、御黒戸(おくろど)で私的に女官たちにより佛式で祀られており、白川伯王家でも神式で祀られていました。

1871年(明治四年)、より実質的な祭政一致を目指して神祇官が廃止され、神祇省に改組されました。その際に、神祇省にいた国学者の福羽美静たちの建議により、皇霊が宮中の皇霊殿(こうれいでん)に遷座されることとなりました。皇霊殿、神殿、賢所を宮中三殿と呼び、賢所(かしこどころ)は宮中で天照大御神をお祀りしていたところで、東京奠都とともに京都御所から皇居へお移しされてきました。



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2014年01月27日

神社と歴史(一)近代(1)明治維新と招魂社

明治維新と天皇親政
1867年(慶応三年)、江戸幕府第十五代将軍徳川慶喜は、政権を返上することを明治天皇に上奏し(=大政奉還)、明治天皇はこれを勅許されました。それを受けて、明治天皇の名により、神武創業の大理念利他を美徳とし、民の幸福を第一とする家族的国家建設=八紘為宇(はっこういう)=八紘一宇の精神に原づき政治を行う=天皇親政(=王政復古の大号令)を発し、新政府樹立が宣言され、その後の内戦を経て、これを平定し、二百六十有余年続いた江戸幕府に終止符が打たれることとなりました。

1868年(慶応四年⇒明治元年)、第122代明治天皇が京都御所紫宸殿に出御し、明治政府の政治の指針を、天神地祇に誓われた上で発布した御誓文(=五箇条の御誓文)が示され、明治政府は江戸を東京と改め、君主が交代した日にすぐ新元号を適用する(=即日改元)が実施され、慶応四年を改め明治元年とするとともに、天皇一代につき一元号とする改元の詔(=一世一元の制)によって定められました。
御誓文


五箇条の御誓文(現代語訳)
一、広く人材を求めて会議を開き、議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。
一、身分の上下を問わず、心をひとつにして、積極的に国を治め整えましょう。
一、文官や武官はいうまでもなく、一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。
一、これまでの悪い習慣を捨てて、何事も普遍的な道理に基づいて行いましょう。
一、知識を世界に求めて、天皇を中心とする麗しい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。
これより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするに当たり、私は自ら天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力してください。


1869年(明治二年)、京都を都として残す形で、新たに東京を都と定める(=東京奠都)が行われ、徐々に政府機能が東京へと移されていき、諸大名から天皇へ領地(=版図)と領民(=戸籍)を返還する(=廃藩奉還)が行われ、1871年(明治四年)には、全国に261あった藩を廃して府県を置く(=廃藩置県)が行われ、中央集権の体制が整えられていくことになりました。

京都霊山護国神社




招魂社
(しょうこんしゃ)
 
幕末以来明治維新前後の国事殉難者と戊辰戦争の戦死者慰霊のため設置された神社。 
1868年(慶応四年)、明治天皇は維新を目前にして倒れた志士たちの御霊を奉祀するために、京都 東山の霊山の佳域社を創建せよとの詔(みことのり)=御沙汰書を発せられ、その有難き聖旨を拝し、枯骨に及ぶ天恩の忝さに感泣した京都の公家や山口、高知、福岡、熊本、鳥取、久留米などの諸藩、澤三位家、徴兵隊が相計らい京都の霊山(りょうぜん)の山頂にそれぞれの祠宇(しう=社)を建立したのが招魂社創祀の始まりで、霊山官祭招魂社(=京都霊山護国神社)と称し、社格は官祭社に列格し祭祀及び営繕には国費が供進されました。
当時、霊山官祭招魂社に於て奉祀せる祭神は、五百四十九柱あり、古くは天誅組の首将中山忠光卿を始めとし、梁川星巌、梅田雲浜、頼三樹三郎、月照信海、来島又兵衛、久坂玄瑞、寺島忠三郎、高杉晋作、入江九市、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、平野国臣、木戸孝允、真木和泉守、宮部鼎蔵ら幕末勤王の志士が祀られました。



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