神社と歴史

2014年05月09日

神社と歴史(二)現代(16)国家神道の遺産(6)綜括

国家神道の遺産 綜括
1871年(明治四年)、神社ノ儀ハ国家ノ宗祀とし、神道は国家の宗祀であって宗教に非ずというのが我が国の認識であり、1900年(明治三十三年)、行政上も神社局と宗教局に分離し、神道とその他諸宗教は明確に区分されていました。

抑々、神道とは、人で在る為の道、つまり人道と呼応する言葉であって、神で在る為の道、詮ずるところ、惟神(かんながら)の道(=神代から伝わってきて、神の御心のままで人為の加わらないまことの道)を意味するもので、一神教の絶対神崇拝を中心とした宗教観とは、趣を異にするものであります。
 
1868年(明治元年)、新政府は、天皇を頂点とした社会構築にあたり、国民の精神的支柱として神道を採用し、 五箇条の御誓文も天皇が神に誓うという形式を採用しましたが、その内容には宗教性は特に見られませんでした。

1945年(昭和二十年)12月、終戦後、GHQにより神道指令(=国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件)が出され、靖國神社などの神道関連施設が宗教の区分に入れられることで、神道に宗教的心象を持たされ、国家神道は解体へと向かいましたが、国家神道はその規模は格段に縮小されたものの、完全に解体されることなく我が国に遺産としての価値を持ち根付いているものと云えます。
内宮遷御の儀

その他の国家神道の遺産
1953年(昭和二十八年)、敗戦により中止されていた伊勢神宮式年正遷宮(=定められた年に御神体を仮殿から新殿に遷座すること)が行われ、これを機に神社本庁の指導層などによって国家神道の復活が望まれるようになりました。

1959年(昭和三十四年)、政府は皇太子明仁親王殿下(=今上天皇)の結婚式に際して神道儀礼である賢所大前の儀(かしこどころおおまえのぎ)=結婚の儀(けっこんのぎ)を国事としました。

1990年(平成二年)、御大礼(ごたいれい)・・・即位の礼(そくいのれい)大嘗祭(おおにえのまつり)=天皇即位後初めて五穀豊穣を感謝し、その継続を祈る一代一度行われる天皇が行う新嘗祭(=収穫祭)が行われました。 


 

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2014年05月08日

神社と歴史(二)現代(16)国家神道の遺産(5)忠霊塔 忠魂碑

忠霊塔(ちゅうれいとう) 忠魂碑(ちゅうこんひ) 
各地に現存する忠霊塔忠魂碑もまた、敗戦後も残存している国家神道の遺産のひとつと云えましょう。

明治政府の成立以降から戦時中まで、各地方自治体毎に、国家や君主ために忠義や忠誠をもって戦争に出兵し戦死した者のに対して、顕彰または称え続けることを象徴として表す忠霊塔忠魂碑は、戦後、GHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)の指示により、戦争を賛美するものとか軍国主義的であるものとして、その多くは撤去されましたが、塔を土に埋めて隠すなどして撤去を逃れたりしたものなど、現在も日本全国各地にあります。
下関 戦場ヶ原公園 忠霊塔


1952年(昭和二十七年)、サンフランシスコ講和条約により、日本が主権を回復すると、忠霊塔に替わるものとして慰霊碑(いれいひ)が建立されるようになりました。また、1954年(昭和二十九年)、新たに造られた千葉県忠霊塔などのように、県忠霊塔などと呼称を変えたものも建立されました。

現在でも毎年、忠霊塔は、自治体や遺族らによって行われる戦没者のへの顕彰慰霊追悼の対象の場として慰霊碑慰霊塔と共に使われることが多く、その維持、整備は自治体や地元の人達の善意によって受け継がれています。



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2014年05月07日

神社と歴史(二)現代(16)国家神道の遺産(4)護國神社

護國神社(ごこくじんじゃ)
各地の護國神社も、靖國神社と同様に、敗戦後も残存している国家神道の遺産のひとつと云えましょう。

明治維新前後以降に国家のために殉難した英霊を奉祀する神社として日本各地に設立された招魂社(しょうこんしゃ)は、1879年(明治十二年)、東京招魂社明治天皇の命名により靖國神社と改称され、1939年(昭和十四年)、地方の招魂社は、内務省令 招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件 によって一斉に護國神社と改称され、それまで曖昧だった神社としての制度を明確にしました。当時、護国神社は、社格は持たないが、内務大臣が指定した府県社に相当する指定護國神社と、村社に相当する指定外護國神社に分けられました。
 
1945年(昭和二十年)の終戦後、日本がGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)の占領統治下に置かれると、護國神社は軍国主義施設とみなされ、存続を図るために名称から護國の文字を外すなど改称を余儀なくされましたが、1952年(昭和二十七年)、サンフランシスコ講和条約により、日本が主権を回復すると、改称した神社の大多数は旧社名に戻しました。また、終戦後、いくつかの指定護國神社神社本庁の別表神社となっています。
滋賀縣護國神社 御親拝
 
護國神社祭神靖國神社祭神と一部重なるものの、靖國神社から分祀された霊ではなく、独自で招魂し祭祀を執り行っており、そのため、公式には護國神社靖國神社とは本社分社の関係にはないとされていますが、共に英霊を祀る靖國神社護國神社とは深い関わりがあり、主要な護國神社五十二社で組織する全國護國神社會靖國神社と連携し、英霊顕彰のための様々な活動を行い、交流があります。

1960年(昭和三十五年)、昭和天皇、香淳皇后両陛下より、全国の護國神社五十二社に幣帛が賜与されて以降、1945年(昭和二十年)から数えて十年毎に幣帛の賜与が続けられています。
 
護國神社は、建立以来、主として戦没者の遺族会や戦友会が運営的、財政的に支えてきましたが、戦没者を直接知る遺族や戦友たちの高齢化とともに、その数は減りつつあり、財政的危機に見舞われる護國神社が増えると見られることから、旧指定護國神社を中心に崇敬会崇敬奉賛会を設立し、その道府県出身ないし縁故の戦死者、戦後は自衛官、警察官、消防士等の公務殉職者を主祭神とする神社として存続し続けています。



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2014年05月02日

神社と歴史(二)現代(16)国家神道の遺産(3)国旗国歌法

国旗及び国歌に関する法律(こっきおよびこっかにかんするほうりつ)
1999年(平成十一年)8 月13 日、日章旗(日の丸)日本国旗であり、君が代日本国歌であることを定めた、国旗及び国歌に関する法律(=国旗国歌法が施行されました。

国旗及び国歌に関する法律(平成11年法律第127号)

(国旗)
第1条  国旗は、日章旗とする。
   2     日章旗の制式は、別記第1のとおりとする。

(国歌)
第2条  国歌は、君が代とする。
   2     君が代の歌詞及び楽曲は、別記第2のとおりとする。

附則
(施行期日)
1  この法律は、公布の日から施行する。
(商船規則の廃止)
2  商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。
(日章旗の制式の特例)
3  日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の割合について縦を横の十分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とすることができる。

 
別記第1(第1条関係)

日章旗の制式
日章旗の制式
 日の丸
寸法の割合及び日章の位置
    縦  横の三分の二
日章  
    直径  縦の五分の三
    中心  旗の中心
彩色
地  白色
日章  紅色
 

別記第2(第2条関係)

君が代の歌詞及び楽曲
歌詞
  君が代は
  千代に八千代に
  さざれ石の
  いわおとなりて
  こけのむすまで

 楽曲
君が代の楽曲



 


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2014年05月01日

神社と歴史(二)現代(16)国家神道の遺産(2)一世一元の制⇒元号法

一世一元の制(いっせいいちげんのせい)
1868年(慶応四年)、天皇一代に元号一つという一世一元の制を定めた一世一元の詔(いっせいいちげんのみことのり)=太乙を体して位に登り、景命を膺けて以て元を改む。洵に聖代の典型にして、万世の標準なり。朕、否徳と雖も、幸に祖宗の霊に頼り、祇みて鴻緒を承け、躬万機の政を親す。乃ち元を改めて、海内の億兆と与に、更始一新せむと欲す。其れ慶応四年を改めて、明治元年と為す。今より以後、旧制を革易し、一世一元、以て永式と為す。主者施行せよ。明治天皇より発せられ、明治政府は、君主が交代した日にすぐ新元号を適用する即日改元を行い、慶応四年を改めて明治元年とする改元を実施しました。
それまでの日本では、天皇の在位中にも災害など様々な理由により度々、改元が行なわれており、寛永や慶長のように、新たな天皇が即位しても、元号が変わらないこともありました。
昭和天皇 元号法(げんごうほう)
終戦後の1947年(昭和二十二年)1月16日施行の皇室典範、並びに同年5月3日制定の日本国憲法に於いて、元号の規定が明記されなかったことを以って、改元天皇が交替したときにのみ実施するという一世一元の制は法的根拠を失ったと解釈されてきましたが、その後も元号は国会、政府、裁判所の公的文書、民間の新聞等で慣例的に元号による年号表記が用いられ、また日本人の九割近くが元号を使用している現状と、昭和天皇のご高齢化の事情に鑑み、昭和天皇存命中に元号の法制化を求める声が高まったことから、1979年(昭和五十四年)6月12日、元号法が制定され、一世一元の制は再び法的根拠を持つこととなりました。

元号法
(昭和五十四年六月十二日法律第四十三号)

1  元号は、政令で定める。
2  元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。

   附 則 
1  この法律は、公布の日から施行する。
2  昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。 


1989年(昭和六十四年)1月7日、昭和天皇が御崩御され、今上天皇が即位あそばされ、これを受け、元号法に基づき、1989年(平成元年)1月8日、平成元号を定めて改元がなされ、一世一元が継続されました。 尚、平成元号は、元号法によって改元された最初の元号となりました。



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