佛教の教え

2013年09月02日

佛教の教え(10)四法印(5)一切皆苦

一切皆苦

一切皆苦(いっさいかいく)
諸行無常諸法無我涅槃寂静三法印と云い、これに「一切皆苦」を加えて四法印と云います。

四法印
佛教の基本的な教え 四つの考え

釈迦如来様は、私共の世界は自分の思い通りにならないことばかりであると云う「苦諦(くたい)の真理を説いています。
佛教の説く「苦」とは、単に苦しいということではなく、「思い通りにならない」という意味です。この「苦」には、「四苦八苦(しくはっく)と呼ばれる八つの苦しみが挙げられます。

四苦八苦

四苦八苦
 
この四苦八苦を滅する苦集滅道(くじゅうめつどう)4つの聖なる真理を説いたものが「四諦(=四聖諦)です。

四諦(したい)
四諦
 四諦という四つの真理
※諦とは「真理」と云う意味。

「苦しみ」
苦は「知り尽くすべきもの」(遍知)現状把握
 
「苦しみの起こるもと」
苦の原因は「滅するべきもの」(滅除)原因解明
 
「苦しみを減らし、なくすこと」
苦の滅は「実現すべきもの」(成就)目標設定
 
「苦しみを減らし、なくした状態に導く道」
苦の滅を実現する道は「実践すべきもの」(修習)方法提示


苦諦 (くたい) 
人生の真相は苦であるという真理。
この「苦諦」の中に誰もが逃 ることのできない苦しみとして「四苦八 苦」をあげ、
「苦から逃げることなく、それを直視し、見極め、これに執らわれないこと」を教えている。
四苦八苦
(生苦・老苦・病苦・死苦・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)
 

集諦 (じったい)
その苦の原因は煩悩にあるという真理。
苦しみの原因を探求し、はっきりと悟ることを集諦という。
苦しみの原因は渇愛(のどの渇いた者が激しく水を求めるように、
人々が様々な欲に執着してやまないこと)や、
無明(如実知見が出来ないこと)に代表される煩悩にあるとする。
原因を悟る方法として十二縁起(=十二因縁)が説かれている。 

滅諦 (めったい)  
その煩悩を滅した状態こそが本当の安楽であるという真理。
苦しみをもたらす原因を取りのぞけば、苦しみがなくなるのだという真実を悟る ことを滅諦という。

 
道諦 (どうたい) 
煩悩を滅する方法は八正道(=八聖道・八支正道)であるという真理。
苦しみの原因である渇愛、無明などの煩悩をなくす方法を見極めることを道諦という。
具体的には、八正道が説かれている。



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2013年08月05日

佛教の教え(10)四法印④涅槃寂静

涅槃寂静

涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)
佛になるために佛教が目指す苦のない「悟り」の境地。
涅槃とは煩悩の炎が吹き消された状態、安らぎ、悟りの境地(=彼岸)を意味する。
「悟りの境地である涅槃の世界は、寂静であると云うこと」です。
肉体を中心とする煩悩の炎に燃え包まれていることを善しとせず、煩悩の炎を吹き消したときに現われる静かなる境地こそ、真なる幸福の道、すなわち涅槃の境地であると云うことです。
「諸行無常」、「諸法無我」の教えによって、人間の心から 貪りと怒りと愚痴がとり除かれた時、そこに初めて涅槃寂静の状態が生まれるとし、佛教は涅槃寂静に到達することを目標とする。

解脱した結果、或いは、解脱した境地のことを涅槃とし、解脱はその涅槃に到る過程のことである。
然るに、解脱した結果に得られる境地が「涅槃」であると云えましょう。

「涅槃」の境地に到達する実践法として、「八正道」「六波羅蜜」がございます。
 
  八正道(出家)
八正道























 
  六波羅蜜(在家)
六波羅蜜 


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2013年08月02日

佛教の教え(10)四法印③諸法無我

諸法無我

諸法無我(しょほうむが)
如何なる存在も、永遠不変の実体とも呼べる「我」(が)がないと云う意味。
※諸法とはここでは存在、我とは恒常で変化しない実体の意

謂わば、諸法無我とは「一切の存在は永続的なものではなく、仮のものである」ということです。
「諸行無常」が、時間的流れのなかで一切のものが変転していく姿を捉えているとするならば、
「諸法無我」は、空間的観点から考えて「一切のものは実在ではない。凡てのものは、本来の世界から見たならば夢幻の世界なのである」という考え方の教えです。

言い換えれば、そのもの自体で(自立的に)成り立っている存在は無い。
他の事物との関係の上に、凡ての物の今の存在、状態がある。
原因が(外部に)あって結果がある。(=縁起)



五蘊(ごうん)
人間の身心、およびその環境のすべてを形成する物質的・精神的な要素(蘊)五つを云う。(=五陰)

(身体的又は物質的要素)
(感受作用)
(表象作用)
(意志作用)
(認識作用)

凡ては、これらが仮に集まって出来ているとして五蘊仮和合と云い、これらに執着するための苦を五取蘊苦(五陰盛苦)という。 

ならば、無常なる中における我々人間の存在とは一体何であるのか?
それを佛教では、五蘊仮和合(ごうんけわごう)のものであると説いています。
五蘊が無常なる中、因縁によって仮に集合しているものが、我々人間の存在であり、その五蘊も当然に移ろい変化する中にあって、決して永遠不変・常住なるものではなく、五蘊にも固定した実体たる「我」はないため、五蘊それぞれも「自分のもの」ではなく、もちろん何もつかめないし、執着できるものではありません。
このようにして、無常なる中においては、絶えず変化していく五蘊のいずれにおいても「これが自分だ」とすることは不可能であり、「我」はやはり成り立たないということになります。
「自分がある」として妄想してしまって苦しむ「我」をなくし、五蘊のいずれにも執着しないように「我執」を無くしていかなければならないのです。

勿論、あらゆる凡ての存在においても固定した実体としての「我」というものはないというのが、この諸法無我の教えと云えましょう。

五蘊





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2013年08月01日

佛教の教え(10)四法印②諸行無常

諸行無常


諸行無常(しょぎょうむじょう)・・・凡ては移り変わるもの
世の中に生起するあらゆる現象は一定ではなく、絶えず変化し、流転して止むことなく、刹那単位で移り変わっていくと云う真理です。
※諸行とは因と縁によってつくられ現象している一切のものを意味します。

世の中の物事は常に変化を繰り返し、同じ状態のものは何一つありません。
それにも関らず、私共は様々なことを「変わらない」と思い込み、願ったりします。
そのことが「執着」へと繋がるのです。
「執着」の苦しみにとらわれないためには、物事は必ず変化するということ、凡てが無常の存在であることを理解することが大切であり、謂わば「執着しないこと」とは、今を蔑ろにすることではなく、 逆に今を最大限大切にすることであると説いています。 


涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈(しょぎょうむじょうげ)と呼びます。
 
諸行無常偈(雪山偈)
お釈迦様がこの世で悟りを開くに至った過去世の因縁としての物語の中で、一人の修行者が雪山(ヒマラヤ)で直向きに修行しておられました。
その真摯な態度に感動した帝釈天様(佛法の守護神)は、羅刹(らせつ)=悪鬼のお姿に身を変えて修行者の前にお現れになられた。
そして諸行無常 是生滅法 (諸行は無常なり、是れ生滅の法なり)=諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である」と雪山偈の半分の二句をお唱えになられたのでした。
修行者はその真理の二句を聞いて大いに驚き歓喜し、辺りを見回すがそれらしい人影はない。
そこに立っているのはおそろしい姿の羅刹であった。修行者はおそるおそる鬼に話しかけた。
「今の言葉はお前が唱えたのか」と問うと「そうだ」と云う。
修行者は「今の二句は真理を説いてはいるが、それではどう生きたらいいかという後の二句が説かれていない。知っているなら是非とも続きを聞かせて欲しい」
鬼は答えた。「勿論、続きも知っているが、腹が減って続きを唱えることが出来ない」と云うのであった。
修行者は「それではお前の食べ物を私が探して来よう。一体何が食べたいのだ」と聞くと、「人間の血と肉を食べたい」と云う。
そこで修行者は、真理を求めるために命を捨てる覚悟をして云った。
「それでは、私の身体を差し上げるから続きを聞かせて貰いたい」と申し出た。
すると、鬼は生滅滅已 寂滅為楽 (生滅を滅し終わって、寂滅をもって楽と為す)=この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり」と唱え、その言葉があたり一辺にこだましました。
修行者はそれを聞いて驚喜し、後世の人の為に四句を岩に刻み約束通り谷底に身を投じた。
その瞬間忽ち鬼は帝釈天様のお姿になられて、優しく修行者の身体を受けとめ礼拝なさいました。
この修行者こそが、前世で修行なされていた当時のお釈迦様であられたのです。
この四句を諸行無常偈と云います。
この諸行無常偈は、修行中のお釈迦様を雪山童子(せっさんどうじ)と云われていましたので、雪山偈ともいわれます。
諸行無常偈は、旧来からのお寺で行う葬儀には葬儀場にても葬儀幡として必ず掲げられておりました。
葬儀幡は四本幡(四幡)とも云いますが旗ではなく幡です。幡は佛菩薩を称え、教えを表示する役目を持っているとされます。

諸行無常偈に、「ん」を加えて日本のかなの四十八文字で表した「伊呂波歌(いろは歌)」がございます。 
世の中凡て移り変わるのが原則だから、「物に執着する迷いを捨てて生きなさい」 と教える諸行無常偈の四句を、和訳した佛教的人生訓と云えましょう。

諸行無常といろは歌 

 


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2013年07月31日

佛教の教え(10)四法印①四法印とは

四法印

法印とは「佛法の旗印」と云う意味で、佛教(内道)か、佛教ではない教え(外道)かを判断する目安となる佛教の教えの最も基本的な考え(根本原理)を云います。
然るに、三法印(さんぼういん)とは、「三つの佛教を特徴づける真理」と云う意味です。
「諸行無常印」(しょぎょうむじょう)
「諸法無我印」(しょうほうむが)
「涅槃寂静印」(ねはんじゃくじょう)の三つを云います。
この三法印の特徴を持っているものが佛教であり、無ければ佛教ではないと云うことになります。
この三法印に、「一切皆苦」(いっさいかいく)を加えて四法印(しほういん)と呼びます。 

佛教の基本的な教え 四つの考え 
 
 

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