四苦八苦

2013年03月29日

佛教の教え(1)四苦八苦 人の人たる所以の四苦

四苦八苦 人の人たる所以の四苦


四苦八苦の四苦(生老病死)が、
人が生きとし生けるものとして避けられない必然的な苦しみであるとすれば、
四苦八苦の四苦(愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)は、
人間以外の生き物にはない、人の人たる所以の苦しみになりましょう。

四苦八苦 相田みつお













愛別離苦(あいべつりく)
愛別離苦=愛する者と別れなければならない苦悩
 
怨憎会苦(おんぞうえく)
怨憎会苦=怨み憎む人と出会わなければならない苦悩
 
求不得苦(ぐふとくく)
求不得苦=求めても得られない故の苦、すなわち希望が達せられない事から起こる苦悩
 
五蘊盛苦(ごおんじょうく)
五蘊盛苦=肉体と精神による苦脳 五つの要素(五蘊)、つまり色・受・想・行・識(身体・感覚・概念・心で決めたこと・記憶)のそれぞれに執着することの苦悩  謂わば、物質に執着して様々な精神作用(好悪、損得などの分別心)が盛んに起こることの苦脳


人として生まれ、そして人として生きようとすればするほど四苦八苦の苦脳に陥ってしまいます。
その原因が私共の自己中心的な欲望である煩悩(ぼんのう)の仕業だと釈迦如来様(お釈迦様)は説かれていらっしゃいます。



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2013年03月28日

佛教の教え(1)四苦八苦 老病死

四苦八苦 老病死

老苦(ろうく)
老苦=老いる苦しみ 
老いは、誰にも避けられない

病苦(びょうく)
病苦=病の苦しみ
誰もが病気に悩まされる

死苦(しく)
死苦=死の苦しみ
死は誰にでも、必ず訪れる 

老病死











四門出遊
(しもんしゅつゆう)
釈迦如来様(お釈迦様 )の出家の動機としてよく語られる
「四門出遊」という説話があります。
釈迦族の王子として育ち、何不自由のない暮らしをしていた若者がなぜ出家したのでしょうか。

釈迦如来様(お釈迦様 )が物思いに耽って、今で云う鬱(うつ)の状態になっているのを案じた父が、彼を城外に出して散策させます。
 
彼がカピラ城の東門から外に出たら、杖をついて苦しそうにしている老人に出会います。
釈迦如来様(お釈迦様 )は従者に間きます。
「あれは何か」と。
「老人でございます」と従者が答えると、
「老人とは何か...」と釈迦如来様(お釈迦様 )は重ねて問います。
「はい、人間が年をとりますと、あのような姿になります」
「誰でも老人になるのか?」
「然様(さよう)でございます」
「おまえも年をとると、ああなるのか?」
「はい」
「この私もやがては老人になるのか?」
「はい、然様でございます」 と従者は答えます。
それを問いて釈迦如来様(お釈迦様 )は城内に引き返します。
また別の日に南門から出ると路上に倒れている病人に出会い、
西門から出ると死者を悼む葬儀の列に出合います。
その都度、あれは何かと問います。
釈迦如来様(お釈迦様 )は、いい年をして老人も病人も死人も解らないのか、と思うかもしれませんが、質問には二通りあり、本当に解らなくて質問する場合と、自分はよく知っているが相手に理解を深めさせるために問う場合とがあります。
釈迦如来様(お釈迦様 )の質問はその後者で、
「老」
「病」
「死」
という人生の重大事実を相手に深く解らせるために、その都度問うたのです。
それらを目にして、生きていれば老・病・死三苦は避けられないのに、誰もそれを自覚することなく日々を無為に生きていることを痛感します。
そして最後に北門を出たときに出家した修行者に出会い、その落ち着いた、清らかな足どりで歩く姿に感動し、その出家老に対して「どうして、このように優雅で、しかも尊い人柄ができたのか」と尋ねました。
すると、その出家老は自分の体験を語りました。
「私もかつてあなたと同じように老・病・死の人生の大きな問題で悩み続けました。老・病・死の苦悩の解決は他に求めて得られるものではなく、また瞑想して観念的に解決のつくものでもありません。自分を正しく支配できるように厳しい努力を重ねる以外に方法はないのです。」
それを聞いて釈迦如来様(お釈迦様 )は、自らも出家をしようと決意したと云われています。

これが「四門出遊」、後世に生まれた説話です。
二十九歳で出家された釈迦如来様(お釈迦様 )は山林に入り、六年にも及ぶとも云われる凄まじい難行苦行をなされました。



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2013年03月27日

佛教の教え(1)四苦八苦 生苦(しょうく)

四苦八苦 生苦(しょうく)

ブッダ誕生

















釈迦如来様(お釈迦様 )を修行へと駆り立てた、
凡ての始まりは「苦」でありました。

まれること
いること
むこと
ぬこと

この四つのことは、決して自分の思い通りにはなりません。
「生老病死」の四つの苦からは、誰も逃れることは出来ません。

生苦(しょうく) 
生苦とは、「生きる」苦しみではなく、「生まれる」苦しみを意味します。
また、人としての基盤、生まれ、生きるすべての苦しみの根幹となります。
正に人として「生まれる」ことによって、すべての苦しみが付き纏っています。


どんな時代に
どの国の
どんな性別で
どんな容姿で
どんな親のもとに
どんな境遇で
どんな環境に
生まれてくるかは、自分で選べません。
そう、思い通りにはいかないのです。

特に、釈迦如来様(お釈迦様 )が生まれた印度では、
身分制度が厳格であったため、どのように「生まれる」かが、
最初に且つ最重要な「苦」であったことは推して知るべしでしょう。

そして、一旦「生まれる」や、老・病・死の「苦」は避けられません。



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2013年03月26日

佛教の教え(1)四苦八苦  

四苦八苦(しくはっく)


四苦八苦を日常で用いるときは、
大変な苦しみ。また、非情に苦労すること。
を意味に使っています。

実は本来、知らず知らずに使っている言葉が、佛教の教えからくる佛教語であったということは数多(あまた)にあります。
「四苦八苦」もその中のひとつです。

佛教の開祖でいらしゃる釈迦如来様(お釈迦さま)は、
二千五百年前に印度の菩提樹の下で、
世の中の道理、自然の摂理を体得し、一切の迷いを離れて悟りを開かれました。
そして真っ先に説いたのが、「一切皆苦(いっさいかいく)
=「人生は苦なり」でした。※苦諦(くたい)
 
苦とは、「苦しみ」のことではなく、
「思うようにならない」ことを意味し、
 謂わば、「人生は思い通りにならない」、つまりは「苦」であるという真理でした。
 
その「苦」には、
二苦
内苦=自己の心身より起こる苦
外苦=外的作用により起こる苦
 
三苦
苦苦=不快なものから感じる苦
壊苦(えく)=好きなものが壊れることから感じる苦
行苦=ものごとが移り変わることを見て感じる苦

などがあるといわれます。

四苦八苦














佛教の教えで、それらの苦を四苦八苦(しくはっく)》と説いています。
 
四苦
老苦(ろうく)
病苦(びょうく)
死苦(しく)

さらにこの四苦に、
釈迦如来様(お釈迦さま)は、
初転法輪(しょてんぽうりん)」の際に、
 
四苦
愛別離苦(あいべつりく)
怨憎会苦(おんぞうえく)
求不得苦(ぐふとっく)
五蘊盛苦(ごうんじょうく)

を加えて八苦としました。
 
つまり前の四苦(生・老・病・死)は、人間の生きものとして起こる苦しみであり、
後の四苦は、人間が人間であるために味わう苦しみを説いたものです。

以前にも四苦八苦について、にちにち日和(3)でも触れておりますのでご参考にしてみて下さい。



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